「人事はコンフリクトのマネジメントを意識すべき」、この言葉はベネッセ時代、当時の社長からいただいたものです。ちょうど会社が経営変革を目指し様々な取り組みを行う中、当時人事部長であった私の至らなさゆえのお叱りの言葉でした。この言葉を耳にしたとき、私は従来の価値観を根底からくつがえされるほどのインパクトを受けました。といいますのも、それまで人事という立場は誰とでもうまくやっていかなくてはならない、よって対人関係のスタンスとして、コンフリクトを回避する、ということが私の行動の起点になっていたからです。
社長にお叱りを受けた場面は人事の変革施策を企画検討する過程でキーパーソンの役員、事業部長クラスの方々のご意見を集約したうえで全体最適をとり、こうしたいとの流れで提案を持ちかけたところ、話にならないと一喝された時です。(その時はとても文章では表現できないくらいの辛辣なお言葉をこれでもかというくらい賜ってしまいました。。)当時、自分なりには関係者を巻き込んだ最適なプロセスで提案をまとめ相応のクォリティに至っていると思い込んでいたのですから、今、思えば恥ずかしい限りです。ただすでに皆様もご認識の通り、本来は達成したい目標があるのですから、最大限それにフォーカスしたプランを提示すべきです。そのうえでもちろん現場の声や実態に応じ、多少はアジャストの余地はあってもよかったのでしょうが、もろもろの意見を尊重し間をとった折衷案をもって丸くおさめようなど、もっとも価値のないものであるという認識が全くもってできていませんでした。本来は、先鋭的過ぎてさすがに反作用が大きい、と社長に諌められるくらいの提案をすべきだったと思います。このできごとは人事のプロを目指し、ようやく部長を拝命、まさにプライドを持ち意気揚々と仕事に臨もうとしていた矢先でしたので、自らの情けなさにしばらくの間、立ち直れなかったことを昨日のことのように覚えています。(もちろん立場上、極力、表には出さないようにしましたので、とても孤独な日々でした。。)
会社という組織においては、大なり小なりの様々な利害が複雑に絡み合っていますので、何かを変えようとすればコンフリクトが起こって当然です。人事の腕の見せどころはそのコンフリクトが起きた時にいかにそれを調整し、最適な形で落とし込んでいくか、加えて関係者の納得を得て進めていくかです。その意味で人事は悪者になってしまうことも多々あるでしょう。おそらく私がコンフリクトを回避しようとのスタンスをとっていたのも、根底には悪者になりたくない、回避したいとどこか逃げの意識があったように思います。誰しも好き好んで嫌われたい人はいないでしょうし、いい人でいたいものです。ただ経営に資する人事を目指すのであれば避けては通れません。時には関係者の反対を押し切ってでも会社のため、社員のために突き進むまなければならないでしょうし、嫌われるからと日和見するようでは、いわんや人事の責任者など務まろうはずもありません。”胆力”が必要なのだとつくづく思いますし、いまだ私も至らず思わず躊躇してしまうことがありますが、昨今、少なくともそれがNGとの自覚は明確に持てるようになってきました。”胆力”を培うためにはどうすればよいのだろうとあれこれ思案したこともありましたが、あまり要領よく身につけられるものでもないということもわかってきましたので、今は自分の仕事にひたすら覚悟をもって臨む、これしかないとの面持ちで日々を過ごしています。
若かりし頃は人柄のよい人が人事に向いていると思っていましたが、到底それだけではコンフリクトをマネジメントすることはできません。人事は会社の命運、そして社員の人生を左右するのですから、そのことをしかと心に刻み込み、何かを決断したのであれば、自らが泥をもかぶる覚悟をもって仕事に臨むべきと、あらためて意を強くする今日この頃です。