「自律」へのアプローチ

自らを律することは、社会、組織で生きていくうえでとても大切なことですが、とても奥深く残念ながらまだシンプルに本質的な定義ができるには至りません。突き詰めると非常に哲学的になり過ぎてしまうでしょうし、短絡的に考えれば机上の空論になってしまう気がします。今の私に実践的かつ的を射た表現をするインテリジェンスはないのですが、一方で社会人として長く会社という組織で働く過程で自分なりに自律を目指し若い頃から意識してきたことがありますので、今回はそれをご紹介したいと思います。

自律のためには、まずは自律できていないこと、つまり他律を認識すべきでしょう。私は自律同様、まだ他律も少しイメージしづらいことがあり、依存の概念でとらえるようにしています。人は多かれ少なかれ自分以外の誰か、何かに依存して生きています。そして社会人にとって依存の一番手はやはり会社(組織)という存在でしょう。その際たるものは挨拶に現れます。社会人では挨拶をするとき、日本では必ずといってよいほど最初に社名(組織名)を名乗ります。私も誰から指示されたわけでもないのに、新入社員の時から世間の常識として○○社の川口と自己紹介していましたが、これは知らず知らずのうちに会社への依存が始まっているということなのでしょう。社会人になってから会社組織に当然のごとく所属してきましたが、イコールそれは会社に依存していることと自覚できたのは悲しいかな30歳を過ぎた頃でした。

私はソニーに勤めていたとき、ありがたいことにブランドイメージが高かったので挨拶すると相手の方からよい会社ですね、とお褒めの言葉をいただけ嬉しく感じることが多々ありました。自社に誇り、愛着を持つことは良いことでしょうが、勘違いしてはいけないのは決してそれが自分自身に対する褒め言葉ではないということです。よい会社に勤めている人が全員素晴らしいかといえば、現実的にはそうではないことは自明です。あくまで素晴らしいのは会社であり、褒められるべきとすればその会社を築かれ成長させてこられた諸先輩方でしょう。少なくとも自分たちはその土台の上で、ブランドや様々な経営のリソースを活用させていただき、ある意味、良い思いをさせていただいていること、結果的に会社に依っていることをしっかり認識しておく必要があります。

プロフェッショナルを目指すからには自律すべき、との自覚が芽生えて以降、私は会社に少しでも依存せず生きていくためにどうすればよいかを考えるようになりました。結果、極めて稚拙なことですので恥を忍んで申し上げますが、会社への依存を回避する自分なりの一つの策として、会社では給茶器の利用をしない、と決めたのでした。。私がいた会社にはコーヒーやお茶のサーバーが備えてあり社員は無料でそれを活用できましたが、私はそれを利用しないと決めたのです。以来、私は必ず朝にお茶やコーヒーをコンビニで買い込んで出社しています。会社が社員によかれと判断し準備してくれた環境をそのまま受け入れるのではなく、自らの意志で利用しないと決めたことは、会社依存へのささやか過ぎる抵抗(?)かもしれませんが、私にとっては毎日のように会社と自身の関係に思いを致すよいきっかけとなった気がします。本来、お茶が飲みたければ自費で買うことが極めて当たり前にもかかわらず、環境の整った会社生活を漫然と過ごすとそのような感覚が知らず知らずのうちに麻痺してしまい、時にそれを感謝するどころか、お茶の味が美味しくないと不満を漏らす人まで出てきてしまうのですから怖くすらあります。

また少し違う観点でもう一つ事例としてお話しさせていただきます。今度は出張時の対応です。私はまだ担当者のころですが、新幹線を使う際によくグリーン車を利用していました。当然、一担当者に会社からグリーン料金が支給われるわけもなく自腹です。にもかかわらず、なぜグリーン車を利用するようになったかといえば、大きくは2つの理由があります。1つには忙しいときに新幹線の中で仕事をしたかったからです。新幹線の普通車は座席の幅が狭くまた隣に必ず人が座っているので、とてもPCや資料を広げての仕事はできません。グリーン車であれば座席もゆったりしており、何よりほとんどの場合、隣には誰も座っていませんので仕事をする上では最適な環境と考えていました。2つ目の理由は疲れているときに移動時間を利用してゆっくり休むためです。出張では早朝や夜遅く移動するケースがよくありますが、その際にゆっくり睡眠できる環境を重視したのです。普通席ではだれかが自分の前を横切ったり車内販売を利用したりと、せっかくの睡眠を妨げられてしまうケースが多いものですから。。。

この事例を示させて頂いた理由は、自律のためには会社のルールに対して自分なりに解釈することが重要と考えているからです。会社には様々なルールがありますが、その中には禁止もあれば、ここまでしかお金を出さないといったルールもあります。新幹線については明らかに後者です。グリーン料金は出ませんが、乗ってはいけない縛りではありません。けれども意外と多くの方が乗ってはいけない、もしくは乗るという発想もしてはいけないと受け止めてしまっているように感じます。もちろん個人としてコスト的に負担が難しいのであれば致し方ありませんが、もしグリーン車を利用したほうがよいと判断すれば、その時は遠慮なく自腹で利用すればよいのです。それが出張に関するルールの本質的な解釈と私は考えます。

もちろん私は決して給茶器や新幹線のことを皆さんにお勧めしたいわけではありません。ただ依存していることに気づかないといずれ会社の定めた環境やルールの中でしか生きることができない体質になってしまうリスクを皆さんにも認識しておいて欲しいと強く思うのです。世間の常識やあたり前に流されることなく、できる限りそれに抗いながら生きていく意識を持ち続けないと、到底、依存から脱却できない、目指すべき自律には至らない、私はそう考える次第です。

そもそも会社に所属する最大のメリットは、個人では到底扱えないレベルのお金や人をはじめとする経営リソースを活用でき、ダイナミックな仕事にチャレンジすることができる点です。その観点で会社という組織をできる限りうまく活用する意識を持つことはとても大切です。一方で会社という組織に所属すると無意識のうちに個人が依存しがちな状況に陥りやすいということは頭の隅に置いて頂いた方がよいです。たとえば人事の世界ではよく従業員という表現が慣習的に出てきますが、私はこの表現があまり好きではありません。従という字が会社と個人の上下関係、依存関係を規定してしまうようで使いたくないのですが、この言葉は不思議なことに多くの人に異を唱えられることなく自然と受け入れられているのが実情です。些末なことかもしれませんが、会社での当たり前を無意識に受容してしまうこと、そして慣れとは怖いものとつくづく思います。個人は会社に役務を提供し会社は相応の対価を支払う、この関係性のもと双方が対等な立場で雇用契約を結んでいるのが本質ですし、その意識をもってはじめて個人としても自律することができるのしょうから、まさに本質は細部に宿る、些末なことも侮ることなかれですね。

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