学生時代の経験を社会で活かす

 永年、新卒採用を担当していると、学生の皆さんがもっと自らの人生経験を仕事のイメージと紐づけて語って欲しい、と思うことがよくあります。エンジニアなど特定の専門領域を除いては、それを語ることができる学生は非常に少数派ではないでしょうか。実は幼少期を含めた20年余りの経験値は学生の皆さんが思うよりもずっと社会で活きるものなのです。にもかかわらず巷の就職情報をもとに付け焼き刃で慣れない受け答えに終始してしまう姿を見ていると、とても残念に思います。もっと自然に過去に積み重ねてきた経験を語ってほしい、いつもそう感じてしまいます。とはいえかくいう私も若かりし頃は学生時代の学びと社会で必要とされる知見や能力は当然、別物と考えていたのですが・・。

 とはいえ今の時代であれば、社会で必要な能力や経験をリアリティあるかたち入手できるようになっているはずですし、加えて日本にとどまらずグローバルな情報に触れることすらできる皆さんであれば、自らの過去の経験と照らし合わせ、何が有効なのか、何を強みとしていくのが良いかについてじっくり考えてみて欲しい、と切に願います。
 それではここでは私自身が仕事をする上で有益と思えた身近な経験を2、3ご紹介したいと思います。
 まずは初歩的な例で数学を徹底的に学んだことが有益だったお話です。私は社会人になった時ビジネス文書を書くことにとても苦手意識がありました。なぜなら学生時代に国語が不得手で理系に進学したこともあり、文書はうまく書けないとの先入観があったためです。ところがある時、会社の上司から望外にも自身の書いた文書が誰よりもわかりやすいと褒めていただく機会があったのです。同僚には文学部や法学部出身の人がいたため、にわかに信じられなかったのですが、その時の理由を聞いてみると、「お前の文書はシンプルにポイントをついていてわかりやすい」とのことでした。確かに私は苦手意識があったため、下手に飾らずとにかく相手に要件を簡潔に伝えることに集中していたのですが、上司曰く「他の人は文学的になりすぎるきらいがあり修飾語も多くごちゃごちゃしているが、お前のはシンプル、そしてロジカルでよい」と褒めていただけたのでした。
 その時に思い起こしたのは、学生時代に数学で取り組んだ証明問題でした。私は数学を学んでいるとしか思っていませんでしたが、実は結果的にロジカルさ(論理的思考力)を磨いていたということなのでしょう。確かに数えきれないくらいの証明問題を解いてきましたが、それはビジネスパーソンとして必須な論理的思考力を高めるトレーニングとなっていたということです。学生時代の勉強は受験のためだけで、社会では役に立たないと勝手に思い込んでいましたが、大きな勘違いであったこと、そしてもっと早く気づけばよかったと感じたことを覚えています。
 次も誰にとっても一般的なクラブ活動の話です。私は大学時代に競技ダンス部(ALL京都大学舞踏研究会)に所属していましたが、勉強はそっちのけで学生時代のほぼすべての時間を競技ダンスに費やしました。なぜそこまで没頭してしまったのか、最終的には主将として100名ほどのクラブを率いる立場になったことがありますが、その立場になる前からクラブ一色の生活はすでに始まっていました。その経緯は自分でも定かでないのですが、1つには初めての一人暮らしで人恋しかったこと、雰囲気がよく先輩もよい方が多かったので居心地がよかったこと、クラブとして全日本学生競技ダンス選手権で優勝するという明確な目標があったこと、そして、一方で競技ダンスというまだマイナーなクラブでその存続のために危機感を持っていたこと等々、これらの要素がすべてそろっていたことが背景と考えています。
 団体、そして個人ともに日本で1番になりたいとの目標のもと精一杯尽力し、結果的には団体は全日本優勝と、チームとしては十分過ぎるほど満足のいく結果を出すことができました。なぜそのような結果を出すことができたのか、その一番の要因は諸先輩方がすでにクラブの枠組みを確立してくれていて、私たちはその延長線上で愚直に頑張ればよかったことです。具体的にはクラブ運営の仕組み、つまりダンスの技術、練習手法が確立しており、それが日常の練習、強化練習、合宿などにそれぞれ落とし込まれていたこと、あわせて部員のコミュニケーション、関係性を深めるための飲み会やハイキング、パーティなどのイベントも定番化されており、それらが年間スケジュールの中でうまく配置され、競技性とサークル性のバランスがうまく整っていたことがあげられます。そして何よりも重要なことはクラブの存在意義や目的を年に一度必ず合宿で、時には夜を徹してメンバー全員でディスカッションし、クラブ全体として腹落ちした状態をつくれていたことです。競技ダンスのクラブは非常にマイナーな存在なこともあり、ともすればすぐにメンバーがいなくなってしまい、存続すら危ぶまれる状況になってしまう、そんな危機感と常に隣り合わせでした。だからこそ存在意義や目標を皆で共有することがとても重要だったのです。私達の時代は、サークル性よりも競技性を重視する方針でしたが、サークル性を重視したいとの声は常にメンバーから出てきました。もちろんサークル性は重要ですが、存続の危機感があったゆえ、求心力のある目標設定なくしてはいつの間にかメンバーが離散してしまう、そんなリスクを認識していたからこそ競技性重視の方針をとっていたのです。実はこれらの取組みは、会社にて強い組織をつくることと同様のことであり、特にマネジメント的な立場になった時、とても役に立ちました。クラブ活動でのサクセスストーリーを持ってしまったがゆえ、会社組織で同レベルの一体感や求人力醸成が難しく、なぜ学生時代のような強いチームがつくれないのか、ジレンマを抱え悩むことが多かったのが実情ですが・・。
 一方で個人では、1日も練習を休むことなく我武者羅に誰よりも頑張ったつもりでしたが、全日本決勝には進出できたものの残念ながらチャンピオンにはなれませんでした。その理由は、ずいぶん後になって気づいたのですが、勝てなかった要因は、私がダンスの本質をいくつも見失っていたからに他なりません。1つには音楽をきちんと表現できていませんでした。テクニックはそれなりに高めることができましたが、リズムを捉え切れていなかったのです。そして何より致命的であったのは、勝ちたいとの思いばかりが強くなりすぎ、ダンスそのものを楽しむことができていなかったのです。一緒に踊るパートナーにも勝つことばかりを強いてしまい、ダンスの楽しさを感じさせてあげられなかったことは、後に後悔しても仕切れないほど痛烈な反省でした。言い訳を申し上げれば、チームの主将としての責任感を強く感じていたがゆえですが、ダンスの本質を外していたことは如何ともし難く、ただ我武者羅にやってもだめ、きちんと本質を捉え頑張らなければならないとは、社会に入ってからも心に深く刻み込まれた教訓となったのでした。
 以上、端的には目標を掲げ、試行錯誤を繰り返しながら目標達成を目指すこと(成功、失敗を問わずその過程が重要)が大切ということでもありますが、勉強やクラブ活動をはじめ、誰しもこれまでの人生をよく振り返ることで、社会で活かせる経験は多々見つかることでしょう。そしてこの振り返りこそが、実は自らの進むべき道、フィットした仕事探しに通じることはいうまでもありません。これこそがまさに就職活動の本質ともいえるのではないでしょうか。是非、若いみなさんには、今一度、地に足をつけ自らの人生の振り返りを行って行っていただければ幸いです。
<余談>
 私は学生時代に非常に充実した経験をしてしまっために、社会に入ってのデメリットもありました。社会に入って仕事の面で、学生時代を超える経験をすることがなかなか難しく、いつもどこかで物足りなさを感じてしまったことです。結果的に今ですらそれを超えているか自信がなく、成長できているのだろうかと、考えてしまうこともあります。高みを体感できたのはよかったと前向きには捉えていますが・・。
 

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